「旅する絵描きになりたい」
そんな思いを抱き6年半のあいだ海外を旅したのちに、2015年から土佐町に移住したアーティストの川原将太(かわはらしょうた)さん。
旅の絵描きとして世界を見て来た川原さんは、なぜ土佐町でアーティスト活動を続けているのでしょうか?
そして、川原さんが感じる土佐町の魅力とは何なのでしょうか?
嶺北地域の持つ可能性とは?
今回のれいほくTVでは、世界を見たアーティストの視点から嶺北の魅力に迫りたいと思います!!
アーティスト川原さんの活動
川原将太(かわはらしょうた)さん
1977年生まれの43歳。大阪府の八尾市出身。京都市立芸術大学 美術部を卒業後、オーストラリアなど海外で6年半過ごす。2015年の4月から土佐町に移住し、牛舎を改造したアトリエで絵画や陶芸といったアーティスト活動を行っている。HPはこちら。
ーーー現在は、どのような活動をされているのでしょうか?
絵を描いたり、陶芸を作ってSNSで発信しています。
イベント出店や展覧会も行っていますが、最近はコロナウイルスの関係でできていないのが現状ですね。
ーーーどのような作品をお作りになるのでしょう?
油絵具などを使ってキャンバスに描くこともあれば、違う方法もあります。
例えばデジタルで似顔絵を描いてみたり、文字をデザインしてみたり…。
ーーー表現方法を使い分けている、ということでしょうか?
っていうよりは、その時に興味を持ったことをガッと作るイメージです。
そこで何作品か製作し、シリーズになります。
作っていく中で「このスタイルは掴めた」という実感があれば次に挑戦するんです。
ーーー現在製作されている作品も、一つのシリーズということでしょうか。
今まで動物、三原色、文字を使ったシリーズ…などやって来ました。
いろいろやっているけれど、これというものはまだないんです。
だから今までやって来たモチーフを少しずつ散りばめて、新しいシリーズを作るんです。
生まれた時から旅の絵描きが夢だった
ーーーアーティスト活動を行うことになった原体験はありますか?
生まれた時から、将来の夢は旅の絵描きでした。
その原体験には、父の影響も大きいのではないかと思います。
ーーーその経験とは何だったのでしょう?
大工さんだった父の影響で、小学校の頃からセメントをこねたり、釘を打ったり、ノコギリで木材を切るのは当たり前でした。
そんな父が近くにいたからこそ、物づくりに近い環境にいたと思いますね。
ーーー具体的に絵描きを目指し始めたのはいつでしたか?
高校までは部活を一生懸命にしていました。
そして大学を選ぶときに、自分のやってみたかった絵画の勉強を真剣にやってみたいということになったんです。
そして京都市立芸術大学に入学し、油絵を専攻しました。
ーーー大学卒業後はどのような進路を選ばれたのでしょう?
フリーターをしながら絵を描いていましたが、ずっと物足りなさを感じていました。
実は大学生時代を含めて、僕の中ではずっと暗黒時代だったんです。
ーーーそれはどうしてですか!?
旅をしていなかったからです。
小さい時に思い描いていた、旅の絵描きではなかったんです。
それに気付き、違和感が頂点まで達した時に、日本でやって来たことを全て辞めて、海外へ行くことを決意しました。
ゼロになった海外でのWWOOF
ーーー海外へはどのように行かれたのでしょうか?
労働力を提供する代わりに食事と住まいを提供してもらう、WWOOFというサービスを利用して、初めはオーストラリアに行きました。
ーーーそこでの生活はいかがでしたか?
めっちゃ良かったんです!
ゼロの自分を発見し、理想のライフスタイルも体験することができました。
ーーーゼロの自分、とはどういうことでしょう?
海外では言葉も全く通じないし、体が大きいわけでもない、役に立てないんです。
だからこそ、何もできないゼロの自分を発見し、自分には何ができるかをもう一度見つめ直すきっかけになりました。
ーーー日本にいた時とは違う自分を発見した、ということですね!
それまで日本にいた時は「俺はお前よりもできる」という感情を自分にも、他人にも感じていました。
常に「勝たないとあかん」と思っている状態です。
でもそれは虚しかった。
ーーーオーストラリアでの生活では、そうではなかったのでしょうか?
オーストラリアでは、それぞれの持ち味があって、それを受け入れて上手くやっていけばいいという雰囲気だったんです。
他人と競争しなくても、やりたいことを集中してやる方が幸福度が高いんだ、と。
土佐町の魅力は、日々成長できること
ーーー日本に戻るきっかけになった出来事は何ですか?
海外で旅をして、すでに6年半が経過していました。
旅を始めた当時は、それが自分の中で冒険だったんです。
ーーー6年半が経過し、価値観が変わったのでしょうか?
はい。もはや旅をすることが冒険ではなくなった感覚がありました。
そして自分にとって、絵を描くこと1番の冒険だということに気付いたんです。
そこで、絵を極めるために日本へ戻って来ました。
ーーー日本に戻って来てからは、何をされていたのでしょう?
友人の家に居候しながら絵を描き、農業も行っていました。
海外で学んだライフスタイルの実践です。
そこで、農業学校の研修に参加した後、土佐町を知ったんです。
ーーー現在は土佐町に移住されて6年目ということですが、住んでみていかがですか?
実は、土佐町に来てから半年くらいで、すぐどこかに行くと思っていたんです(笑)
大体何年かいると、マンネリ化してくるからです。
ですが、ここにいる間は、日々成長できる。
そう感じています。
ーーー成長できる、とはどういうことでしょう?
居心地がいいというよりかは、自分の挑戦を応援してくれる環境なんです。
自分がこれをしたい!と本気で思っていたら、周りの人が助けてくれる。
だからやりたいことがスーッと実現されていくんです。
ーーーなるほど!他には、ありますか?
人にも、刺激を受けることが多いです。
笹の家の渡貫さんや、半野生人としてパーマカルチャーを実践するYutaくんは、それぞれが興味を持って活動しています。
そういう人が周りにいると、とても刺激をもらえますね。
ーーー川原さんにとって、そうした刺激は作品に反映されるのでしょうか?
僕が絵を描く時に表現するのは、100%自分の中、つまり心の中のものです。
だから場所でインスピレーションが浮かぶ、ということはあまり、ありません。
大事なのは、新鮮な自分、淀みのない自分を保つことです。
ーーー詳しく、教えてください!
淀みのない自分を保つことで、内側のものがスムーズに出るようになります。
だからこそ、転々として新しい出会いや新しい場所に行くことによって、そうした状態を維持したいんです。
ーーー環境は、自分をクリアに保つためのもの、ということですね。
土佐町の環境は、そうした自分になれる場所だったのだと思います。
土佐町を見つけたきっかけは、農業
ーーー土佐町を知るきっかけになった出来事は何でしたか?
たまたま参加した、農業学校という3ヶ月の研修でした。
そこでの出会いが、めちゃくちゃ良かったんです!
ーーーどのような出会いがあったのでしょう?
先生や周りの同級生にも恵まれ、バックグラウンドが違う人たちとの出会いに面白いと感じたんです。
そしてその農業学校を運営している会社が、当時、新事業を始めようとしていたんです。
その場所が、土佐町でした。
ーーーそれは、どのような事業だったのでしょうか?
農業インターンシップという移住促進事業です。
先生から、「コーディネーターをやってくれ」と言われたことがきっかけで、大阪と土佐町を行き来する生活が始まりました。
ーーーそこから、どのような経緯で移住することになったのでしょうか?
コーディネーターの任期である1年が経とうとしていた時、「人のことばっかりやっているけれど、将太くんはどうするの?」と言われたんです。
どうしようかなと思っていたその時、地域の方からアトリエに使えそうな物件を紹介していただき、ひと目見て「ここだ!」と思いました。
それが、移住のきっかけでしたね。
絵を描くことは、自分自身の存在証明
ーーー川原さんが、絵を描き続けて来たモチベーションになっていることはありますか?
今現在、自分が自分であることに違和感があるんです。
似合っていない服を着ている感じかな?
実は名前にもしっくり来てなくて(笑)
ーーーそうなんですか!?
だから絵を描いて、これが川原将太です、と表したいんです。
でも、描いても描いてもしっくりこない。
ちょっと足りないことがずっと続いてる状態…。
ーーーだからアーティスト活動を続けられているんですね。
モチベーションというと、やる気というイメージだけど、どちらかと言うと埋まらない穴を必死で埋めようとしている感じです。
一歩ずつ、一歩ずつ。
もう一歩行ったら本当の自分に辿り着ける、存在証明ができる…と思っていても届かない。
だから描き続けられるんだと思います。
これからのビジョンは、公園を作ること
ーーーそれでは、これからのビジョンについて教えてください。
実は公園を作りたい、と考えています。
つまり、人が集まってくるような場所を作りたいんです。
ーーー公園ですか・・・面白そう!詳しく教えてください!!
上の図は、自分の興味を図にしたものです。
一番上の赤い部分、アートというのは、ずっとやって来たことです。
そして右の黄色枠にあるガーデンは、WWOOFをしてる時に感じた、自然とともに生きるライフスタイルです。
そして最後に、人との繋がりができる場所としての公園を作りたいと考えています。
ーーーとても素敵なビジョンだと思います!活動内容がガラッと変化するイメージですね。
土佐町に移住してもうすぐ6年が経ちます。
最近は自分が次のステージに移行した感覚があって。
今までの方法とは違ったやり方、つまり公園作りに着手することに挑戦していきたいと考えています。
ーーーなるほど…これからの川原さんの活動がとても楽しみです!ありがとうございました!
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