農ある暮らしを求めて。「番茶作り」「夫婦で林業」を実現する川端聖佳さんにインタビュー!

「いい意味で、嶺北はどこか海外みたいだ」

嶺北の移住者にインタビューすると、こんなセリフを耳にすることがあります。

そして、嶺北に住んでいると海外在住歴のある方も結構いて、「海外も住んでみたうえで嶺北を選んだ」という人もチラホラ。

今回取材した川端聖佳(かわばた せいか)さんもその一人。

世界のあちこちを巡る中で、どうして嶺北を選んだのでしょうか?

嶺北のどんなところが海外のようなのでしょうか?

ということで、今回は24歳のときに嶺北に移住を決めた、川端聖佳さんにインタビュー。

20代〜30代で移住先を探している方は必見です!

太陽にあたる暮らしを求めて

川端 聖佳(かわばた せいか)さん

1991年、滋賀県生まれ。2015年に本山町の地域おこし協力隊の農業振興活動員として着任。現在は2児のママをしながら、夫婦で小さな林業を営みつつ、お茶事業の展開も行う。

—現在のお仕事について教えてください。

今は夫婦でヤドリギ」という屋号で、林業を主軸として働いています。

それ以外にも、個人的にお茶が大好きなので、遊休地となった茶畑を活用した「土佐薪火三年番茶」を作ったり、間伐のときにやむをえず伐ることになったクロモジという植物を活用した「クロモジ茶」の製造販売も行っています。

引用:黒文字茶/yadorigi shop

— 女性で林業…!たくましいですね。移住前はどんな仕事をされていたのでしょうか?

移住前は、カナダのイエローナイフという極北の町のオーロラ観測ツアーを催行していた会社で、カメラマンとして働いていました。

実はこの仕事は、小学校6年生のときからずっとやりたかった仕事で、そのために将来設計もして、着々と準備を進めてきたことだったんです。

—小学生の頃から・・・。すごいですね!でも、なぜずっとやりたかった仕事が実現したにも関わらず、やめられてしまったのですか?

当たり前のことではありますが、オーロラが出る時間帯にツアーに出かけるので、仕事時間が20時頃から遅い時は朝方7時頃まであったんです。

そこから寝て、起きるのが夕方15時頃で、体内時計がおかしくなる感覚がありました。

仕事自体はとてもやりがいのある仕事で大好きな仕事だったのですが、太陽にあたることのできない生活がつらくて、やめることにしました。

運命の出会い

本山町に来てからの一枚(写真提供:川端聖佳さん)

—その後はどのようにして、今暮らされている本山町にたどり着いたのでしょうか?

前職の経験から、太陽にあたる仕事がしたいと思い、そのさらに前には農園レストランで勤務していたこともあったので、農園で働きたいと思うようになりました。

せっかく海外にいるのだから、日本に帰る前に、海外のあちこちの農園巡りをし、日本帰国後もしばらくは気になる農園を巡る生活をしていたんです。

実は今つくっている「土佐薪火三年番茶」は、一次焙煎を奈良で自然栽培でお茶をつくっている「健一自然農園」さんに委託をしていますが、健一自然農園さんもそのときに学ばせていただいた農園だったんです。

—過去が今につながっているんですね。

そうですね。

その後は、海外であちこちを巡る中で、DIYスキルを身に付けたいなと思って、たまたまFacebookでみつけた「いえづくり教習所」という、1ヶ月間かけて設計士さんや大工さんから建築の知識や技術を学べる長期ワークショップに参加することにしました。

そこで、夫と出会ったんです。

—おもしろそうなワークショップですね!!そしたらご自身のおうちも建てられるのでしょうか?

当時、私はニワトリ小屋をつくる技術がほしくて、参加したんですが、すでに林業を仕事にしていた夫は、自分が伐った木を使って家を建てると宣言していました。

その志に魅了され、いつしかお付き合いを経て、結婚していましたね(笑)

自分たちの家はようやく土地が見つかり、今はセルフビルドで家づくりをするための準備をしている段階です。

移住の決め手は「自分の理想の暮らしができるから」

大石の棚田(写真提供:川端聖佳さん)

—とてもワクワクしますね…!それでは旦那さんとお付き合いをきっかけに移住されたのでしょうか?

そうですね。そこはやはり大きかったと思います。

しかし同時に、本山町の大石地域の棚田の絶景を見て、こんな風景が日本にあるのかと驚くと同時に、私もこの風景の一部になりたいと感じました。

さらに、夫が嶺北に暮らす方々にたくさん会わせてくれて、ここなら自分の理想の暮らしができる!と思ったことが、なによりの決め手だったと思います。

本山町の地域おこし協力隊としての活動

協力隊時代の農作業の様子(写真提供:川端聖佳さん)

—移住後はどんな仕事をされたのでしょうか?

ちょうど移住を決めた頃に、本山町の地域おこし協力隊農業振興活動員の募集があると教えてもらいました。

夫も本山町の地域おこし協力隊の林業振興活動員として3年働いてきたあとで、本山町の協力隊のサポートは手厚くてオススメだという話も聞いていたので、迷わずに応募を決めました。

—具体的に地域おこし協力隊としてどんな活動をされてきたのでしょうか?

実はそれまで自分で農地を管理したことがありませんでした。

いろんな農地を巡ったことはあれど、一からすべてを自分で栽培したことはなく、それをやってみたいと申し出たところ、借りれる土地も見つかり、将来的に自分の商品として売り出していけるような作物を試験的にいろいろと栽培しました。

それらの作物を使って、加工品をつくったり、保育所の給食用に使っていただいたり、地元の直販所「さくら市」で販売をしてみたり。

とてもいい経験ができました。

—聞いているだけで楽しそうですね。そのときの経験が今の仕事につながっていますか?

その当時に実験したことは、今の仕事に直結しているわけではありませんが、無駄なことはなかったなと思っています。

長男を妊娠したこともあって、地域おこし協力隊は着任してから1年半でやめてしまいました。

しかし、お茶事業は、地域おこし協力隊時代から思い描いていた構想で、今後はさらに事業を少しずつでも拡大していけたらと考えています。

卒業後は働く母ちゃんとして突っ走る

林業に必要資格は一部協力隊時代に取得(写真提供:川端聖佳さん)

—地域おこし協力隊を退任されてからのお話を聞かせてください。

地域おこし協力隊を卒業し、そのままその地域に定住することを前提とした「起業支援金」という100万円の補助金があるんですが、私の場合、それを活用して、お茶づくりに必要な道具を一部買いました。

その道具を使って「クロモジ茶」「土佐薪火三年番茶」も作り始めました。

1人目出産後は、しばらくは身動きがとれないこともあって、在宅でできるブログやSNSでの情報発信を仕事としていましたが、子どもをおんぶできるようになってからは「汗見川ふれあいの郷 清流館」という近所の宿泊体験施設でスタッフとして、子連れ出勤もしていましたね(笑)

今はそれに加え、夫婦でチームを組んで、間伐メインの林業を営んでいます。

移住はそんなにハードルが高くない!?

—地域おこし協力隊卒業をするとそんな制度があるんですね。すごい…!最後に嶺北へ移住を考えている方に一言お願いいたします。

嶺北地域には、おいしい食べ物、後世に残したい自然や風景、そして温かい人たちがいます。

私にとって、「移住」は理想の人生を形にしてくれたものでした。

こんな暮らしがしたい!と思い描くことが少しでもできるなら、きっと楽しい田舎暮らしが待っていると思います。

移住というと、ハードルが高いように感じますが、まずは一度気になる土地に足を運んでみて、その土地の空気感を感じてみてください。

養う家族がいると、金銭的な悩みもあり、1人ではなかなか決められないことではありますが、独身なら、自分だけが生きれたらいいから、背負うものは何もない!

やりたいと思った時にやるのが一番。

時間は有限です。

YouTubeチャンネル「セイカの暮らし便り」では、ありのままの、嶺北での田舎暮らしの様子も発信しているので、そちらもみて、気になることがあればいつでも連絡お待ちしています!(笑)

—ありがとうございます!今後もYouTubeの更新、がんばってくださいね!!

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